国会で激しい追及を受ける安倍首相。だが、その対応には誠実さが見られない(時事)

この1カ月ほど、議会政治の崩壊現象はかつてないほど深刻である。

安倍晋三首相は加計学園疑惑に関する委員会質疑で、聞かれたことには答えずに無駄話で時間を潰し、自分はヤジを飛ばしながら野党にはヤジを飛ばすなと言う。質問が終わるとつまらない質問だったと聞こえよがしにわめく。小学校の学級会でも、子どもはもっとまじめに話し合いに取り組む。首相は政治家以前の基本的な礼儀作法ができていないのではないか。

森友学園、加計学園の二つの疑惑とそれに対する政府の処理の仕方は、日本が近代的な法治国家から、前近代的な家産制(かさんせい)国家へ逆行していることを示している。家産制とは、文字どおり、権力者の私的財物と国家の公共物との区別が存在せず、権力者の私的な目的のために国家の財物を費消したり、権力を行使したりできる体制である。また、権力者と家産官僚には身分的隷属関係がある。役人は法に基づいて仕事をするのではなく、主君が白を「黒」と言えば、役人も白を黒と言う。

家産制国家に近づく

森友学園への国有地のタダ同然の払い下げ、加計学園による獣医学部開設についての審査にかかる特別な優遇は、財物や権限の恣意的な運用である。役人は権力者のご機嫌を取るために、法を無視して文書を廃棄し、政府の腐敗を隠蔽する。権力者にお追従を言う幇間(ほうかん)ジャーナリストが凶悪な性犯罪を実行しても、警察トップがこれをもみ消し、罪を免れる。まさに安倍首相は家産制国家の君主である。私は大学で、30年間官僚制について講義をしてきたが、家産制という概念で現代日本政治を説明する日が来ようとは夢にも思っていなかった。文部科学省の前事務次官が官邸中枢の強い影響力を示唆する文書の存在を明らかにしたのは、自らが権力者に隷属する家産官僚ではなく、法に従う近代官僚であることを主張したいからであろう。

安倍首相の国会における狼藉(ろうぜき)も、言論の場という公的空間におけるルールや作法を理解していないゆえに、私的な空間での行動を公的空間に持ち込んでいるわけである。首相の驕慢を見て思い出したのは、オルテガの『大衆の反逆』に出てくる《慢心した坊っちゃん》という言葉である。オルテガは20世紀の病理として、凡庸な人物=甘やかされた子どもが社会を支配するようになったことを憂慮した。その考察の一部を引用する。