「黙っていれば名を呼び、追えば逃げる」。太宰治が女性について漏らした感慨だ。

至言である。この言葉は私の仕事についても当てはまる。依頼が絶えたときに、いくらバタバタしても駄目だ。物乞いのような生き方は恥ずかしい。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ばなければならない時期が、この商売には必ずある。

私は自称“ダザイスト”だ。かつてある詩人が唱えた芸術運動のダダイストではない。終戦直後、私はグレていて、ブラックマーケットである闇市から闇市を渡り歩いては、安酒とデン助賭博(安易なばくち)に明け暮れていた。

1947(昭和22)年の初夏、書店の店頭で『新潮』という雑誌を手に取った。大きな蝶が表紙で、冒頭の小説が太宰の「斜陽」だった。完全な巡り合いだ。プラトンの言う「二つに割れた1本の骨が、後世どこかで巡り合う」という出会いを感じた。プラトンは男女の愛について述べたのだが、私は「斜陽」についてまったく同じ感を持った。

しかし翌年の6月13日、太宰は愛人と玉川上水に飛び込んだ。当時の玉川上水は激流で、下方がえぐられ川底が広がっていた。そのため二人の遺体はすぐ発見されず、約1週間後に引き揚げられた。6月19日のことだ。関係者はこの日を太宰の忌日とし、「桜桃忌」と名付けた。