当時、社長の暴走を誰も止められなかった

阪和興業会長 北 修爾
きた・しゅうじ●1943年1月、大阪府生まれ。66年、東京大学経済学部卒業、通商産業省(現・経済産業省)入省。91年、経済企画庁長官官房審議官。93年、退官し阪和興業常務。94年、同社長。2011年、同会長。17年4月に代表取締役から外れる。(撮影:今井康一)

1980年代のバブル期には、多くの日本企業が高株価を背景に新株を発行して資金を調達し、金融市場などで運用益を稼ぐ「財テク」に走った。そうした財テク企業の代表といわれたのが、鉄鋼商社の阪和興業である。

創業者である北二郎氏(99年死去)の実弟で83年に2代目社長に就任した北茂氏(2011年死去)は、財務を営業と並ぶ有力収益部門へ育成すべく、資産運用を積極化する。92年までの間にスイスフラン建ての転換社債とワラント債を合計約4000億円分発行。調達資金の大半が特金(特定金銭信託)・ファントラ(指定金外信託)や外国債券での運用に充てられた。非実需の為替ディーリングも拡大。88年からはコマーシャルペーパーを大量発行し、大口定期預金での運用も始めた。運用資産は最大3兆円超にも及んだ。

しかし、90年以降の株価下落は財テクに多額の含み損を発生させる。94年1月、茂社長は引責辞任。代わって社長に就任したのが、創業者の長男で前年まで通産官僚だった北修爾氏である。

社長室の隣に直属のディーリングルーム

今でも各地に行って名刺交換すると、「あの阪和さんですか。当時は大変だったでしょう」などと言われる。それぐらいインパクトがあった。

財テクは私の叔父の茂が83年に社長になって始めたものだが、商社としての実需取引であるドルヘッジに含み損が出て、それから社長として為替に関心を強めたことが始まりだと思う。私自身は後で知ったことだが、社長室の隣には社長直属の為替ディーリングルームがあった。