日本の金融バブルが頂点に達した前後の1989年から91年にかけ、記者はニューヨーク(NY)で働いていた。ここでは当時のウォール街が日本をどう見ていたかを振り返ってみる。

現地では米国の機関投資家の運用担当者に話を聞く機会も多かった。日経平均株価が89年末の史上最高値3万8915円に向けて上昇を続けていた頃、取材中に彼らからよく逆に質問されたものだ。「日本の株はなぜあんなに高いのか」と。

89年末時点における東京証券取引所1部上場銘柄の株価収益率(PER)は実績純利益ベースで平均71倍。20倍前後の欧米市場とは異次元の高さだった。日本では当時、土地などの含み益も加えた「Qレシオ」(実質株価純資産倍率)を使って株高を正当化していたが、こちらがそれを説明しても彼らは不思議そうな顔をするばかり。JR山手線の内側の土地価格だけで米国全土が買えるとまでいわれた地価高騰を含め、どうにも腑に落ちない表情だった。

実際、外国人投資家は84年から90年まで、毎年一貫して日本株を売り越している。日本株の保有者に占める外国人の比率は、89年度末にはわずか4%にまで低下していた(現在は約30%)。

「NYの象徴を売るほど米国は弱体化した」