東京・兜町には証券会社の看板が並び、証券マンの数も多かった(写真:東洋経済写真部)

東京・日本橋兜町。かつて「シマ」と呼ばれたこの街は、「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一が1878年に東京証券取引所の前身である東京株式取引所を設立したのをきっかけに証券街として発展を遂げた。バブル期には多くの証券会社が軒を連ねたが、バブル崩壊でこの街の光景も一変。証券会社の看板もさほど目立たなくなった。

日本証券業協会の調べによると、1991年6月時点の証券会社の役員・従業員数は約17万人を数えたが、2016年12月時点では9万人強とほぼ半減。街の発展を牽引した東証での売買が99年にすべてコンピュータ化されたのに伴い、立会場から証券会社のいわゆる「場立ち」が姿を消したこともあって、「日本のウォール街」の喧噪は消えた。

「飛島建設は“とんび”」「大末建設は大成建設と混同しないよう、“だいすえ”ではなく“だいまつ建設”と呼ぶ」……。こうした立会場時代の「ルール」を知る証券マンはもはや少数派だろう。