コラムニスト 泉 麻人
いずみ・あさと●1956年生まれ。慶応大卒、出版社勤務を経て84年からフリー。著書に『東京いい道、しぶい道』『大東京23区散歩』など。(撮影:今井康一)

企業がおカネを使うときに、若者・女性ウケするお店をつくったり、テーマパークに出資したり、ディスコに出資したりした時代だった。 

コーポレートアイデンティティ(CI)もはやり言葉になった。それまで、日本の会社のロゴは「マルに糸」とか「マルに三」とか江戸時代の呉服屋のセンスだった。それが、この頃からデザイナーを使って、しゃれたロゴやマスコットを看板にしていく。ソフトの部分におカネが使われるようになった時代だった。

戦後に生まれた団塊の世代の人たちが、企業で指揮を執れる時代になったこともこうした流れを加速した。

東京ディズニーランドが1983年にオープンして、ユーミンのアルバムが全国的に売れだしてくる頃から、バブルにつながる流れができてきた。それは西武グループなどの企業と結び付き、苗場スキー場や逗子マリーナといったアーバンリゾートとして盛り上がっていく。

メセナに企業がおカネを使った時代でもある。「それをしなければ生き残れない」という雰囲気すらあった。鉄鋼などの堅い会社から、「東京のハヤリモノ」の話をしてくれという講演依頼もいくつかあった。また、学生が主催する行事に企業がカネを出して、大規模な合コンやディスコパーティを開く動きも多かった。