ついに補聴器を装着することになった。他人の話を聞くときに必ず2度以上聞き返すので、その非礼さを指摘され屈服したためだ。本意ではない。不承不承である。

私は「身体髪膚これを父母に受く あえて毀傷せざるは孝の始なり」という古語を信奉している。注射が嫌いで(というよりは怖くて)、最初に液を注射器に注入し、打つ前にピュッとお医者さんが宙に飛ばすのを見ただけで真っ青になる。打たれるときは緊張してコチンコチンになる。「もっと楽にして」と言われる。心の中で「これはあえて毀傷する(される)典型的な例だ」と口答えする。まさに臆病の表れだが、全体に自然を重んじている。老いによる体の衰えは仕方がない。ありのままに朽ちていくのは、人間も自然の一部なのだから止めようがないのだ。そう思って聴力の衰えも放っておいたのだが、他人に迷惑が及ぶのはやはり避けなければいけない。

ほかにも衰えた部分がある。手のひらだ。先日、JA全中(全国農業協同組合中央会)の「経営マスターコース」の開講式があった。全国のJAから推薦された俊英職員を研修する塾方式の勉強会で、1年間缶詰めにする。私が塾長なので開講式と修了式には話をする。今回は「経済とは経世済民、すなわち乱れた世を整え(経)、苦しむ民を救う(済)という言葉の略語であって、単なるそろばん勘定ではない」と前置きし、「財の内に屈さず財の外に立つことを心掛けよう」と、幕末の経世家であった備中松山藩(岡山県高梁(たかはし)市)の家老、山田方谷の言葉を紹介した。「財政難のときはそろばん勘定におぼれずに、いったん財の沼から岸に上がって事業全体の計画を見直せ」という意味だ。