このところ、BSチャンネルで黒澤明監督の時代物の放映が続いている。『用心棒』『椿三十郎』など何度見ても楽しいが、そのうちある疑問が湧いてきた。主人公のキャラクターについてだ。主人公の行いの動機は確かに善だ。しかし、やっていることについてすべて善だといえるのかどうか。三船敏郎演ずるスーパー浪人にはその性格に“魔性”を感ずる。言ってみれば善なる悪魔、略せば“善魔”だ。

昔、『善魔』という映画があった。岸田國士(くにお)の原作を映画化したもので、脚本は野田高梧と木下惠介、監督は木下惠介だ。主人公役を公募した。作品の主人公の名は三國連太郎。役を射止めた新人は、以降この名で俳優を続けた。『釣りバカ日誌』で主人公が勤める鈴木建設の社長スーさんが後の持ち役だった。

善魔とは悪魔の対義語だろう。善と悪とは相反する概念で両者が融合する接点はない、と普通は考える。が、岸田がこういう発想をしたのはおそらく、「人間の善意も場合によっては相手を傷つけ、不幸に陥れることがある。すなわち悪魔と同じ結果をもたらすことがある」ということだったのではなかろうか。ロシア作家の名作にも、底抜けの善意を発揮しつつ無意識に周囲に悪影響を及ぼす主人公を描いた作品がある。