「黎明の10年」「飛躍の10年」。JR北海道の社史は最初の10年と次の10年をこう表現した。だがその背後で設備の老朽化がじわじわと侵食。それが一気に表面化した過去10年は、まさに「暗転の10年」としか言いようがない。今後、JR北海道を再生するために、島田修社長はどんな手を打つのか。

北海道旅客鉄道(JR北海道)社長 島田修
しまだ・おさむ●1958年東京都生まれ。80年東京大学経済学部卒業後、国鉄入社。常務・総務部長、鉄道事業本部副本部長などを経て2012年JR北海道ホテルズ社長。2014年から現職。(撮影:梅谷秀司)

──30年で最重要の出来事は?

2011年5月に発生した石勝線の列車脱線火災事故です。その後の諸問題や経営危機の起点となりました。事故という表面的なものではなく企業風土の表れ。その後に起きた一連の事象を煎じ詰めると、どれも安全を最優先にするという基本的な考え方が根付いていなかった。

──安全以外を優先していた?

いえ、安全を優先していなかったわけではない。安全優先が掛け声倒れになっていた。

──具体的に言うと?

安全の最低基準を絶対守るためには、必要な経費をかけなくてはいけない。人員も欠けることがないよう配置する必要がある。万が一、安全に疑問がある場合には、列車の運行を止めてでも安全確認を最優先にする。これらは掛け声としてはあったが、徹底されていなかった。

──当時、労組を問題視する報道もありましたが、実際は?

組合問題という言葉で単純化できる問題ではありません。労使交渉で安全問題を軽視するような発言は一切なかった。ただ、現実に見た場合、収支を合わせるために修繕費を削っていた。民間企業であれば赤字を出さないようにするのは当然ですが、安全の最低基準を下回っていいわけではない。その認識が欠けていた。

──必要な安全投資をすると赤字になるということは、分割民営のスキーム自体に誤りがあったのでは?