博多駅から徒歩数分の場所にあるJR九州の本社に向かう途中、同社の客室乗務員の一行に出くわした。背筋をピンと伸ばして一列になって歩く姿は航空会社のキャビンアテンダントのようだ。駅の外でも列車内と同じくらい高い意識を保つ。こうした仕事への心構えは「上から教えているわけではなく、客室乗務員の間で自然に受け継がれている」と、JR九州の青柳俊彦社長は言う。会社の隅々まで徹底した顧客意識の高さ。これが、同社が株式上場した原動力かもしれない。

九州旅客鉄道(JR九州)社長 青柳俊彦
あおやぎ・としひこ●1953年福岡県生まれ。77年東京大学工学部卒業後、国鉄入社。87年JR九州入社。鹿児島支社長、鉄道事業本部長等を経て2014年から現職。(撮影:今井康一)

──30年で最も重要な出来事はやはり昨年10月の上場ですか。

そうです。ただし重要な出来事というよりも、30年やってきたことの最終結果が上場の日に出たのです。その点では、30年にわたる一つひとつの取り組みがすべて重要ということでもあります。

──逆に30年間でピンチと感じたことは?

鉄道事業者として厳しい時期はいくつかありました。2002年には鹿児島本線・海老津─教育大前間で列車衝突事故が発生し、乗客131人が負傷しました。03年には長崎本線・小江─肥前長田間で特急列車が脱線して、30人以上の乗客が負傷した。こうした大事故を起こしたことがピンチだったと考えています。そこで、06年から「安全創造運動」という取り組みを展開し、安全を確保していく基盤はできた。

もう一つの危機は外部環境の変化です。会社発足時の鉄道の赤字は経営安定基金3877億円の運用益で補いながら営業を続けるというスキームだったのですが、バブル崩壊やリーマンショックで金利が低下し、運用益で鉄道の赤字を埋められなくなった。そのため、鉄道以外で頑張らないと会社が成り立たなくなる。この危機がきっかけで会社の成長につながっていった。

鉄道以外の事業が頑張ってくれて会社が大きくなりましたが、それも鉄道がしっかり安定的に運営されればこそ。JR九州は安心・安全というブランドがあるから、鉄道以外の事業が高く評価されている。

──東京・新宿のホテルは御社の用地だったのですか。

違います。リーマン後に土地が放出される時期だったので、たまたま紹介があった土地を購入しました。

──今年6月、沖縄・那覇にホテルを開業します。JR各社のホテル事業は自社エリアが中心ですが、なぜ九州を飛び出すのですか。

ホテル、それからレストラン事業(同社系の創作料理店「うまや」)は、どちらも九州の中だけでやっていては限界がくるからです。東京で展開できれば九州のPRにもつながるし、東京のお客様をどうやって取り込んでいくかという創意工夫は、九州で生かすことができます。

──ここまでは出て行くが、ここからはやらないという線引きは?

もちろんしています。ばくち的にやっているわけではない。いろいろなシミュレーションをして、かなり高いハードルを設定しています。よく投資家さんにも聞かれるのですが、「ご安心ください」と(笑)。

──上場して投資家から赤字路線を廃止しろと言われることは?