あの小野田寛郎氏がフィリピンのルバング島から帰国したのは、私が9歳のときだった。小野田氏は、任務解除命令が届かなかったため、終戦後29年間も任務を続行し、1974年3月にようやく解除命令を受けて、日本に帰ってきた。

この報道に、日本はもとより世界中から驚愕と賛否の声が上がり、自分の周囲でも話題沸騰だった。ところが、私の父親だけ「普通だろ」と言って、世間の騒ぎを不思議そうに見ていた。

父は小野田氏と同様に陸軍中野学校の出身で、終戦前に初代中華民国総統である蒋介石の暗殺を命じられている。そして、終戦時に任務が解除されなかったため、75年4月5日、蒋介石が台湾で病死するまでの30年間、父はいつ作戦の発動指示を受けても動けるように準備をしていた。

私は、物心つく前から毎週日曜の午後といえば父と近所の廃墟のようなビルに行き、この準備、訓練に付き合わされていた。だから、小野田氏が帰国した74年3月は、まだ、父にとって作戦の発動指示を待っている最中だったのである。