「ホームレスになってしまった」。受話器の向こう側で、泣きじゃくりながら訴えていた。

1月、静岡県浜松市で、日系ブラジル人支援団体「ブラジルふれあい会」の座波カルロス代表が指定された公園に駆け付けると、40代の女性が寒風に震えながら待っていた。日系ブラジル人の彼女は2年前に自動車部品の工場で雇い止めに遭った後、失業保険とわずかな貯金で食いつないだが、昨年秋から家賃が払えなくなった。アパートを追い出され、路上生活を余儀なくされていた。

座波さんはすぐに市の担当者と連絡を取り、女性を福祉施設に預けた。だが、「これで解決したわけではない。彼女はこれからどうやって生きていくべきなのか、私にも答えが出せない」とその表情は暗い。

世間の注目は薄れるが、支援が届かず餓死者も

座波さんの元には連日、同胞からのSOSが寄せられる。生活不安を訴える声が圧倒的に多い。リーマンショックの後遺症が続いていると座波さんは見る。“派遣切り”されたブラジル人が街にあふれ、世間の注目を集めているうちは、まだよかった(2009年初めには市内のブラジル人の7割が仕事を失ったともいわれる)。地域からの支援も活発化したし、政府もブラジルへの帰国を希望する者に対し、帰国支援金の名目で1人につき30万円を配った。3年間は再入国不可の条件が付けられていたので「まるで厄介払いだ」との批判も強かったが、それでもこのカネを利用して全国で約2万人のブラジル人が帰国した(ほかに自費で帰国した人も08年以降5万人いる)。だが支援金の支給制度も昨年春に打ち切られ、再度の雇用を信じて日本に踏みとどまったブラジル人の中から、貧困という沼地に足をとられる者も出てきた。