武士にとって死は日常の傍らにあった。「武士の一分」のために命を懸けることさえあった(本橋昂明/アフロ)

江戸時代は天下泰平が続いたが、武士は戦闘者としての倫理を身に付け、時にそれを実践しなければならなかった。そうした緊張関係を示すのが、佐賀藩士・山本常朝(つねとも)の口話を筆記した『葉隠(はがくれ)』にある「武士道というは死ぬことと見付けたり」という有名な言葉である。

この言葉を理解するためには、『葉隠』に採録された一つの事件を参照する必要がある。京都に借銀役(しゃくぎんやく)(経理役)で逗留していたとき、同僚がけんかをしているという話を耳にした、鳥取藩士の行動である。

藩士が現場に駆け付けたところ、同僚はまさにとどめを刺されようとしていた。藩士は言葉をかけ、けんか相手の2人を斬り殺した。

これを聞いた京都町奉行は、この藩士を呼び出し、「そのほうは同僚のけんかに加担し、御法度に背いた。それに相違ないか」と詰問した。

ところが藩士は「御奉行の言っている意味がわかりません」。いらだった奉行は、「けんかに加担し、人を刃傷したのは、御法度に背き掟(おきて)を破ったということだ」と断じた。