その思い出は自然と口からあふれるようだった。「角さん」という言葉を口にするたびについほおが緩んでしまう。増山栄太郎にとって、これほど語りがいのある人物はいなかったはずである。

時事通信社の政治部記者として田中角栄番となった。田中は43歳で自由民主党の政務調査会長に抜擢されていた。派閥全盛時代であり、政治家は選挙で当選を重ねてさえいれば、それなりのポストにありつける。大臣になっても、役人に任せておけば立派な政策が手元に届く時代だ。衆議院議員の1年目から猛烈な勉強家、政策通として頭角を現した田中は異色の政治家であった。

角栄から贈られたスーツの仕立券

異例のスピードで政界のトップへと駆け上がる田中の実像に迫ること。それが増山に課せられた使命だった。その増山に田中も、折に触れ自身の足跡を語るようになる。

田中は新潟県・二田村(現柏崎市)の高等小学校を卒業後、東京の専門学校である中央工学校で建築を学んだ。そこで一級建築士の資格を取得すると、1943年に25歳で田中土建工業を設立する。